休職の意味と、浪人中の時に似た居場所のなさ

休職について

今回は、休職し始めてから感じるようになった、「居場所のない感じ」について書いていきたいと思います。

昼間からふらふらしていると

休職中の「居場所のない」感じ。この感覚は、自分が大学受験で「浪人」していた時期に感じていた感覚に似ている感じがします。浪人中も、社会に所属していない感じ、自分の「ポジション」がない感じがありました。

外に出たとき、人は自分のことを、無意識に「自分は今サラリーマンだ」「学生だ」「観光客だ」といった属性で自己認識しているのではないでしょうか。

しかし、休職中も浪人中も、そのどれにも当てはまりません。自分のことを「フラフラしてる人」としか思えなくて、そのことが、そわそわとした落ち着かない感じにつながっていると感じます。「このまま社会から外れてしまうのではないか」という漠然とした不安があります。思えば浪人中の時もそうでした。

昼間から何もせずにフラフラしていると、どうしても「自分は役に立たない存在だ」「社会から必要とされていない余計者だ」という感覚に陥ることがあります。 個人的な考えとしては、社会にそういう人がいても全く構わない、むしろ、いた方がいいとさえ思っています。ですが、「自分がそうである」というのはまた別の問題で、なんとも言えない居心地の悪さを感じてしまうのです。

昔に比べれば休職はポピュラーになりましたし、身の回りにも経験者はいます。そこまで「人生を踏み外した」という感じはしません。 とはいえ、キャリアにおいて有利になることはないでしょう。今後の仕事人生や、お金を獲得する手段を考えた時に「大丈夫なのかな」という不安は常にあります。

人生の中で、休職はどんなストーリーなのか

休職してから、この出来事が自分の人生においてどういう意味を持つのかを考えてしまう時間がとても多いです。今回の休職が、社会人生活における「挫折」なのか、単なる「休憩」なのか、その捉え方一つとっても、まだ定まりません。

それを考えるには、自分の人生のストーリーのようなものを思い浮かべることになります。しかし、休職してすぐも、半年経った今も、この「休職」がどういう意味合いを持つのか、自分の中でうまく位置付けられない、というのが正直なところです。

無理やり「意義があった」という風にはしたくありません。 それ以前の問題として、私は学生時代を終え、社会人になって働く中で、そもそも「自分の人生とはどういうものなのか」が、よく分からないまま過ごしてきた感じがあります。

たとえば、普通の社会人として40年働くような感覚はまったくありませんでした。かといって、起業したり、フリーランスやアーティストになったり、つまり「会社勤めではない状態」になることも、あまりイメージがつきませんでした。

今のところ、休職して半年が経ち、「自分の人生に必要な時間だった」とは思えるようにはなってきました。カウンセリングを通して気づいたことですが、仕事に限らず、私には対人関係における根深いストレスがあったな、と捉え直す機会になったからです。「じゃあ、その状態からどう変わっていけば自分が楽になるのか」、 そういう課題に取り組むための時期、とは一旦捉えられています。

結局、その後の人生を生きてみないと、本当の位置付けは分からないのでしょう。 それでも、自己理解として「今の自分が休職をどう考えているか」を整理することは、個人的に大事なことだと感じています。

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