正式な診断を受けて、休職に入るまで(休職生活の経緯②)

今回は、産業医面談を終えて休職をすることが決まった後、実際に休職に入るまでについて書いていきます。

引き継ぎをして休職へ

産業医との面談を経て休職を決断したのが、今年の4月。特に明確な予兆があったわけではなく、自分にとっては急な展開でした。

急に休職することになったため、当然ながら仕事の引き継ぎが必要でした。会社からは「休職開始は、引き継ぎが終わってからでいい」と言われたので、休職が決まってからも2日間ほど、引き継ぎのために働きました。

自分の仕事は、大まかに言うとマーケティング系です。休職の直接の原因になった上司とは別の上司に、色々と業務を引き継ぎ、正式に休職に入ることになりました。元々リモートワークだったこともあり、休職の手続きのために、きっかけとなった上司と顔を合わせずに済んだことは、とてもありがたかったです。

診断書の取得のために、メンタルクリニックへ

休職するためには、産業医との合意とは別に、正式な「診断書」が必要になります。

この診断書を取得するためには、産業医とは別の医療機関にかかる必要がありました。そこで自分は、新たにメンタルクリニックを探してそこへ向かい、「産業医とこういう話になっています」と経緯を説明しました。すると、すぐに診断書を書いてくれました。

その診断書で、私は「適応障害」という文字列を初めて目にしました。「あ、これが適応障害というものなのか。自分の今の状態が、世間で言う適応障害なんだな」と、妙な気持ちになったことを覚えています。

その際、医師から「適応障害」と「うつ病」の違いについて説明を受けました。

(これは、あくまでその時自分が受けた説明を思い返して書いているものであり、厳密な医学的定義とは異なるかもしれない点をご了承ください。)

医師の説明によれば、

  • 適応障害:原因がはっきりしている抑うつ状態。
  • うつ病:原因がそこまではっきりしていない、もう少し幅広い抑うつ状態。

ということでした。自分の場合、「仕事で上司に叱責されたこと」が明確な原因だったので、「適応障害」に該当する、という説明でした。

この診断書を会社に提出し、自分の休職生活が正式にスタートしました。

(補足)休職の原因について後から考えると……

休職の原因が本当に上司の叱責だけだったのか、というのは、今から考えるとどうも違うような気がします。というのは、その叱責も別に激しいものではなかったからです。というよりも、長期的にストレスのかかる状況が続いていて、その最後の一押しが上司の叱責だった、と考える方が適切な気がしています。

長期的なストレスというのは、自分の完璧主義だったり、自分の職種の仕事が適切に役立てられていない組織上の問題だったりによって、仕事をしていく中で様々なストレスがかかっていたのだと思います。その1つ1つはそれほど大きなストレスでなくても、それらが積み重なっていくし、特に解消されることもない、となると、やはり辛いようです。

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